ナイチンゲールに学ぶ統計の活かし方
2023/10/24配信
「実践経営講座 No.36」
統計とデータ処理・分析に関する話です。
ナイチンゲールに学ぶ統計の活かし方
◆ 戦争と統計
10月18日は、「統計の日」。この記念日に相応しい人物が、フローレンス・ナイチンゲール(1820-1910年)です。
日本では、「白衣の天使」「近代看護教育の偉人」として有名ですが、世界的には、統計学を実戦に活用した先駆者とされる人です。
ロシアとトルコ・英国が戦ったクリミア戦争(1853~56年)で彼女は、英国看護師団の団長として戦場に派遣されます。
野戦病院は劣悪な衛生状態で、戦死する兵士の大部分は戦傷ではなく、伝染病の院内感染によるものでした。
この現状を彼女は本国に報告し、衛生状況の改善提案、衛生用品・薬品、看護師の増援などを要請します。
しかし議会は、戦死は戦傷との既成概念から、伝染病による戦死の実情を信じず、要請を無視します。
そこで彼女は、戦死者統べての死因を計り、戦傷、伝染病、その他に分類した定量的な統計表を作成。
そのうえで、戦死原因を「鶏のトサカ」と呼ばれる色分けした円グラフや、「蜘蛛の巣」と言われるレーダーチャートなど、視覚的に認識できる手法を独自に考え、統計を視覚的に理解できるようデータ処理・分析を行い、ビクトリア女王に訴えました。
それにより議会、陸軍は、彼女による野戦病院の衛生環境の改善提案、増援要請を受け入れることになります。
結果、戦傷者の死亡率は45%から5%まで減少。
彼女は、統計とデータ処理・分析、解決策の提案など、数理に裏付けられた感染対策と献身的な看護活動により、多くの命を救ったのです。
ナイチンゲールは、統計とデータ処理・分析、ビジュアル・プレゼンテーションの源をなす人でもあり、理念、使命に従い国家をも動かすリーダーシップの持ち主でもあったのです。
クリミア戦争開戦の翌年1894年には、日清戦争が始まり、陸軍では脚気により4千人の兵士が病死。海軍は、脚気による病死者を一人も出しませんでした。
海軍は、1882年太平洋への遠洋航海で、兵員376人の半数が脚気を患い25人が死亡。この統計を分析した結果、罹患者は白米を主食とした水兵で、洋食の多い士官に罹患者は無く、ビタミンB1とたんぱく質の欠乏が病因とされ、海軍の主食は、麦飯と洋食に替えられていました。
この判断は、海軍軍医総監高木兼寛によるものでしたが、陸軍医官のトップで、後に陸軍軍医総監となる森鴎外は、遠洋航海の統計は結果的なものであって、脚気は定説通り細菌による伝染病であるとし、陸軍は栄養管理面での対策を取らず、日露戦争を向かえることになります。
日露戦争では、陸軍の脚気罹患者は25万人、うち2万8千人が死亡。総戦死者4万7千人のおよそ60%が脚気で命を奪われていました。
後年、高木兼寛は「日本でもし、一人のナイチンゲールがいたら、幾万もの兵士の命が救われていたであろう」と懐述していたそうです。
◆ マネジメントの偉人
統計の目的は、事象の特性、属性、傾向を定量的に示し、明らかにすること。
データ処理・分析は、統計から得られた数値を比較検討し、事象や結果の原因、事由の仮説を提示するための作業。
仮説を根拠に問題と課題を抽出し、解決策である企画・計画案を決裁者に実行させるのがプレゼンテーション。
経営計画を立案し、目標を達成することは社長の仕事であり、それを支援するのが経営コンサルタントの役割です。
経営計画は、的確な現状把握と目標設定に始まり、現状と目標差異を埋める課題を探り、目標達成への戦略を数値で明文化したものです。
経営計画自体がいかに優れていても、実行に関わる社員、役員や株主の理解がなければ、計画の遂行も目標達成もおぼつきません。
統計とデータ処理・分析から経営計画までは、社長が策定できたとしても、自部門以外の数値に慣れない社員に、経営計画の意義と目標数値を理解させるのは、容易なことではありません。
故に、ビジュアル・プレゼンテーションが重要となる理由です。
ExcelもPowerPointもなく、女性に参政権も無かった130年前に、統計数値の視認の必要性と技法を見出し、データ処理・分析から得た解決策を実戦に活かしたナイチンゲールは、マネジメントの偉人とも言えるかもしれません。
◆ 問題意識と固定観念
ナイチンゲールの野戦病院での統計を基に、ビクトリア女王は、議会と陸軍に改善と支援策の実行を指示し、多くの人命が救われました。
高木兼寛の遠洋航海での統計を無視した森鴎外は、膨大な兵士を無為に病没させました。
統計に対する二人の決裁者の判断は、相反する重大な結果に繋がる訳ですが、判断の相違は何だったのでしょうか。
ビクトリア女王には、統計が示した現状に問題を感じ取る、問題意識があったのに対し、森鴎外は、脚気は細菌による伝染病との固定観念を捨てきれず、統計を偶然の結果だと無視しました。
二人の判断の相違は、統計が示す現状に対し問題意識を持ち、現状の変革を試みたのか、固定観念や既成概念に捉われ、現状を放任したのか、の違いではないでしょうか。
プレゼンテーションは現状に対する、問題と課題の解決案の提案ですが、企画を実現するには、先ずは決裁者に現状の問題点を認識させなければなりません。
そのためには、統計とデータ処理・分析を視認的に理解させるビジュアル・プレゼンテーションを学ぶことも必要ですが、現状と問題の文脈を繋ぐ知見を養うことも重要です。
また、どんなに良い企画案であっても、決裁者に現状に対する問題意識がなければ、成果を得る機会を自ら逃すことにもなりかねません。
固定観念や既成概念に捉われず、常に現状に目配りすることも社長の仕事です。
ナイチンゲールは、近代看護の専門家としてだけでなく、数学、心理学、哲学、経済学などの教養も身に付け、社会起業家としての実績も積み重ねていました。
百数十年も経って、新たな経営スタイルの様にESG経営を唱えている人達を、彼女はどう見ることでしょうか。
ナイチンゲールの社会事業構想の企画実行者、統率者としての生涯に目を向ければ、経営者や経営コンサルタントに必要な資質や器量について、何かしらの知見を得られるかもしれません。
編集後記
「数字でものを言え」「数字で見せろ」、社長がよく口にする言葉です。
この言葉を使うのであれば、統計、データ処理・分析、プレゼンテーションの意味と文脈を社長だけでなく、社員にも理解させておくことが前提です。
この前提作業は、経営コンサルタントの仕事かもしれません。
先日、ある中小企業コンサルタント団体の研究会に参加した際の話です。
「2023年版中小企業白書によれば、中小企業の数は、304万8千社…」などと中小企業の現状について語るコンサルタントがいました。
白書は2023年版であっても、中小企業数の統計は2016年のもの。パンデミック数年前の統計で現状を語られても、現状を誤認させられるだけです。
客観的で正確な情報をクライアントに提供することも経営コンサルタントの仕事。統計の時差や出処には、十分に留意していただきたいものです。
(文責:経営士 江口敬一)