山と経営その2 日本アルプス最難関縦走とアナロジー思考
2025/1/21配信
「実践経営講座 No.54」
経営と登山のアナロジーからの学びと気づきがテーマです。
山と経営その2 日本アルプス最難関縦走とアナロジー思考
◆ 日本アルプス最難関縦走に挑む
会社を創業してから10年がたち、登山を始めた翌年に、北アルプス西穂高岳から奥穂高、北穂高岳までの穂高連峰単独縦走に挑戦しました。
西穂高岳から奥穂岳に至るルートは、切立った岩稜の連続で、日本アルプス最難関の縦走ルートと言われ、初心者一人でのアタックは、無謀なこととされていました。
しかし、本当に無謀かどうかは、やってみなければ分からない。ただ最難関に惹かれての冒険でした。
2000年7月下旬、15kgのザックを背負い、暗いうちに西穂山荘を出発し、2時間ほどで西穂高岳山頂に到達。
ここからが最難関ルートで、わずかひとピークを過ぎた、切立ったガレキだらけの急斜面で立ち往生。
雪解けしたばかりで浮石が多く、一歩踏み出すごとに足元がガラガラ崩れ、重いザックが災いし重心も不安定で、ガレキごと谷底に墜ちそうな恐怖に身が縮んでしまいました。
それでも何とか気を取り直して西穂高岳に登り返し、途中雨に降られて滑る足場に苦戦しながらも西穂山荘に帰還。
散々な撤退戦となり、無謀さと未熟さを思い知らされる結果でしたが、次回への貴重な体験と情報を得られました。
再挑戦は、2カ月後の9月下旬。天候が安定する頃を見計らって再アタック。
この間にロッククライミングスクールで岩登りの基本を学び、晴雨に関わらず鈴鹿山脈のバリエーションルートに通い、岩場や悪天候での経験を積みました。
前回は、遭難に備え3日分の食料や水、燃料、小型テントなど重装備のパッキングでしたが、今回は最小限の水と食料に止め、5kgに満たない装備でアタック。
この険しい縦走では、滑落以外の遭難は考えられず、そうなれば生還は望めないことは、前回の状況から明らかでした。
であれば、最小限の軽装備で重心を安定させ、体力の消耗を最小限にして、速攻で岩稜を踏破するのが、最善の戦術オプションであるとの判断したからです。
結果、何度も冷や汗をかきながらも、10時間以上をかけ西穂高岳から奥穂高、北穂高岳までの穂高連峰の単独縦走に成功。
翌日、槍カ岳まで足を延ばし、新穂高温泉に下山しました。
ベテラン登山家には、それほどでないにしろ、自分にとっては最高の達成感を得たうえ、その後の人生と経営の糧となる縦走となりました。
◆ アナロジー思考で登山から学んだこと
以下、この穂高連峰縦走で学んだことです。
「先ずは挑戦してみる。だめなら撤退し戦術を改める」
「最前線の状況は自分の目で確かめ、情報とする」
「突っ込み過ぎると退路を失う。退路を失う前に撤退する」
「山も経営も達成感は、目標の高さと困難さに比例する」
「用意周到にして大胆に限界に挑み、成長の糧を得るのが冒険。大胆さだけで不用意に限界に挑み、自滅するのが無謀」
山あり谷あり、登山は、経営と同じ。
経営に登山を重ねると、山から多くの学びを与えられてきたことに、気づかされます。
縦走にしろ、冬山、沢登りであれ、登山には死がつきもの。
後顧の憂いなく山に挑むとすれば、社長の不慮の事故に備えた社内体制を、必然的に整えることになります。
登山は、無事に下山してこそ登山。
経営者として、どのように下山するかも、大切なことです。
登山に限らず、経営以外に打ち込めることを糧に、経営と重ねて類推するアナロジー思考が、学びと気づきにつながります。
イノベーションを生むセレンディピティも、経営と非日常の世界の狭間に潜んでいるのかもしれません。
編集後記
株式会社モンベルの創業者で「岳人」編集長 の辰野勇氏は、世界最年少(1969年当時)での、アイガー北壁登攀記録を持つアルピニストでもあります。
「登山と経営は同じ」とは、辰野氏の言葉です。
未知未踏に挑むアルピニズムも、未知の事業領域に挑む経営者魂も、表裏は一体なのかもしれません。
(文責:経営士 江口敬一)