人は流水に鑑みるなくして止水に鑑みる(荘子)
2021/9/28配信
「中国古典から学ぶ経営 No.30」
今回は「荘子」からの言葉です。
人は流水に鑑みるなくして止水に鑑みる(荘子)
◆ 荘子(そうじ)とは
荘子は、中国戦国時代中期に著された書で、荘周とその一門の思想を記したものです。
荘周は、紀元前369年頃に宋の国に生まれた思想家で、荘子(そうし)と呼ばれています。
漆園の管理をする役人だったようです。
荘周は「老荘思想」と言われるように、道教の始祖ともされています。
その思想は「無為自然」という考えに代表され、徹頭徹尾、俗世間を離れた無為の世界に遊ぶことを唱えるものです。
それを表すものとして、有名な「胡蝶の夢」という説話があります。
「荘周が夢を見て蝶になり、蝶として大いに楽しんだところで夢が覚める。果たして荘周が夢を見て蝶になったのか、蝶が夢を見て荘周になったのか」という説話です。
そして、荘子は「夢が現実か現実が夢なのか、そんなことはどうでも良いことだ」と言っています。
まさに「無為自然」です。
◆ 言葉の意味
「人は流水に鑑みるなくして止水に鑑みる」という言葉の意味は、
「流れる水は、いつもざわついているので人の姿を映し出すことができない。これに対し、静止した水はいつも澄みきっているので、あるがままの人の姿を映し出す」
ということです。
つまり、静止した水と同じように、静かな澄み切った心境でいれば、いついかなる事態になっても慌てることはなく、誤りのない判断ができる、ということを言っています。
ここから「明鏡止水」という言葉が生まれました。
これは「無心の境地」と言っていいかもしれません。
既成観念をいっぱい詰め込んでいると、それにとらわれて、動いている情勢への対応を誤ってしまうものだ、ということでしょうか。
このことは、よく分かります。
思い込みや成功体験が変革の邪魔をするというのは、よく言われることです。
とらわれのない心になるには、「荘子」の中にヒントがある気もします。
◆ 経営に活かす
「明鏡止水」
経営者がそうした状態に自分の身をおくことは、なかなか難しいことです。
この心境になるのは、人間として達人の域だと言えます。
経営が苦しくなった時にこそ、澄み切った心境でいることが、窮地を救ってくれるかもしれません。
しかし、実際にはなかなかそうはいきません。
そのためには、普段から心を鍛える訓練をすることでしょうか。
いわゆる、メンタルトレーニングです。
一流のスポーツ選手は、いざという時に心をコントロールし実力を発揮します。
不断の厳しい練習があってのことですが、メンタルトレーニングを積んでいる選手も多いです。
ですから、経営者もメンタルトレーニングが必要かもしれません。
そうすれば、「明鏡止水」の心境が手に入るかも。
そうは言っても簡単なことではありません。
苦しい時や、大事な判断が必要な時には、「明鏡止水」という言葉を思い出すだけでも、少しは助けになるでしょう。
編集後記
荘子の中には、現在日本で使われている言葉も出てきます。
例えば、「朝三暮四」「木鶏」「蝸牛角上の争い」などです。
「井の中の蛙」も荘子の中の言葉がもとになっています。
このように、荘子は日本社会にも影響を及ぼしてきた書物です。
きっと経営コンサルタントにもヒントとなる言葉が見つかることでしょう。