桃(とう)李(り)言(ものい)わざれども下(した)自から蹊(みち)を成す(史記)
2020/12/29配信
「中国古典から学ぶ経営 No.17」
今回は「史記」からの言葉です。
桃(とう)李(り)言(ものい)わざれども下(した)自から蹊(みち)を成す(史記)
◆ 史記(しき)とは
「史記」は、中国前漢の武帝の時代に司馬遷によって編纂された中国の歴史書です。
中国正史の第一に数えられています。
項羽と劉邦の物語が書かれていることでも有名な書物です。
そして、日本でも古くから読まれており、元号の出典として12回採用されています。
ちなみに、「史記」が書かれるに至った司馬遷の物語も劇的です。
司馬遷は代々、歴史・天文をつかさどる家系に生まれました。
優秀な彼は、武帝に仕え信任も得ていたようです。
ところが、紀元前99年に司馬遷は、匈奴に投降した友人の李陵を弁護したことで、武帝の怒りを買ってしまいます。
そして、獄につながれ、翌紀元前98年に宮刑に処せられてしまったのです。
ショックだったでしょう。
そこでくじけなかった司馬遷はたいしたものです。
獄中で古代の偉人の生きかたを省みて、この際自分もしっかりとした歴史書を作り上げようと決意しました。
紀元前97年に出獄後は、執筆に専念することになります。
その結果、紀元前91年頃に「史記」が完成しました。
おそらく、司馬遷の反骨心がそうさせたのでしょう。
(註)宮刑(きゅうけい)とは、去勢をする刑罰です。
男性器を機能不全にする刑で、家系繁栄を重んじる中国で子孫ができないことは重い恥辱となります。
◆ 言葉の意味
「桃や李(すもも)の樹は美しい花を咲かせ実をつけるので、自然と人が集まってきてその下には道ができる」という意味です。
徳のある人の周りには自然と人が集まってくることをたとえています。
漢の時代に李広という徳のある将軍がいました。
弓の名手で豪胆な戦い方を得意とする将軍でした。
普段は無口で朴訥な人柄でしたが、部下はよくかわいがりました。
もらった恩賞はみな部下に分け与え、飲食もいつも部下と同じものを取ります。
戦の行軍中、たまたま「泉」を発見しても部下が飲み終わるまでは決して飲もうとしなかったということです。
食料も部下に行き渡らないうちは、手を付けません。
ですから、部下は「李広将軍のためなら」と、喜んで戦いにおもむきました。
「桃李・・・」の言葉は、この李広将軍に向けられた言葉です。
◆ 経営に活かす
ここでいう「徳のある人」とは、どんな人を指すのでしょうか?
李広将軍は剛毅木訥で思いやりのある人物のようです。
とはいえ、なかなか李広将軍のようなリーダーはいません。
口だけが達者なリーダー、部下のことより自分のことを考えるリーダー、いざとなれば責任を回避してしまうリーダー。
そんな人が周りにはいます。
「下おのずから蹊(みち)を成す」ことはありません。
「徳」を身につけてもらいたいものです。
編集後記
史記全巻を読破するのは大変ですが、本当に面白い書物です。
「寧ろ鶏口となるとも牛後となるなかれ」という言葉を習ったことがあるでしょう。
これも、史記からの言葉です。
その他にも、こんな言葉の原典ともなっています。
「鴻門の会」「国士無双」「屍を鞭打つ」「四面楚歌」「刎頸の交わり」「右に出ずる者なし」「流言蜚語」「怨み骨髄に入る」「曲学阿世」「士は己を知る者のために死す」「雌雄を決す」「傍若無人」「満を持す」「立錐の地なし」「一敗、地に塗る」「百発百中」「鳴かず飛ばず」
いかに多くの人に読まれてきたかが分かろうというものです。