険を見て能(よ)く止(とど)まるは知なるかな(易経)
2020/12/8配信
「中国古典から学ぶ経営 No.16」
今回は「易経」からの言葉です。
険を見て能(よ)く止(とど)まるは知なるかな(易経)
◆ 易経(えききょう)とは
易経は、およそ3500年前に中国周の時代に作られたと言われています。
作者については、いくつかの説があり、定かではありません。
この書は、占いの理論と方法を説いたものですが、倫理道徳を説いた書でもあります。
そして、中国儒教の経典である5経(詩経、書経、易経、春秋、礼記)の一つに数えられていることでも有名です。
その中には、日本でもなじみのある言葉が多く含まれていますので、昔から愛読されてきたことが分かります。
◆ 言葉の意味
この言葉の意味は、
「危険を察知したら進むのを見合わせて立ち止まる、それが知者である」
ということです。
また、「知者」とは物知りのことではなく、適切な判断の出来る人をさします。
とはいえ、なかなか危険を察知するのは難しいことです。
例えば、いくつかの大手アパレル企業が不振に陥っています。
ショッピングセンターや百貨店の衰退が、大きな原因でしょう。
そうした危険を早くから察知出来ていたら、今のような事態にはならなかったはずです。
仮にその危険を察知していてなお進んでしまっていたとしたら、それは「知者」がいなかったということかもしれません。
◆ 経営に活かす
不確実な時代の経営は、攻めるだけではいけません。
守りにも強くなる必要があります。
つまり、攻めるところは攻め、守るべきところはしっかりと守ることです。
そのためには、危険を察知する力が求められます。
やみくもに攻めてもうまくはいきません。
ですから、リスクマネジメントという考え方もありますし、最近ではBCP(事業継続計画)の策定も盛んになっています。
それも「能く止まる」ための方法と言えるでしょう。
また、企業の外だけでなく、内にも危険はあります。
例えば、社員による不正や、組織ぐるみの不正などが、そうです。
その危険を察知したら、やめさせる必要があります。
これは、経営者が「知者」でないといけませんね。
編集後記
易経には、皆さんがよく使う言葉も出てきます。
「君子は豹変する」「虎の尾を踏む」「類をもって集まる」「思い半ばに過ぎる」
いかがですか。
易経も意外と日本人の生活に入り込んでいることが分かります。